監修弁護士 伊東 香織弁護士法人ALG&Associates 横浜法律事務所 所長 弁護士
会社に在籍している従業員から残業代の請求をされることがあります。退職している従業員からの請求ではなく、在籍している従業員からの請求であるため、より慎重な対応が求められるます。本ページでは、その対応方法について、以下でご紹介していきます。
在籍中の社員から残業代を請求された場合の対処法
在籍中の社員から残業代を請求された場合、まずはその社員の言い分や事実関係、証拠関係を精査することが重要です。何も対応しなければ団体交渉や法的手続きを利用しての紛争に発展しやすく、対応する負担感も大きくなってしまいます。
最初からそのような紛争に発展するということを防止するためにも、まずは社員の言い分を十分に確認した上で、事実関係を精査し、その後の対応について検討するようにしましょう。
未払い残業代についての団体交渉
従業員が、労働組合を介して、未払残業代を請求することがあります。団体交渉というものです。1人の従業員の残業代の請求のこともあれば、同様に残業代を請求したい複数の社員が同時に請求をしてくることもあります。
使用者は団体交渉には誠実に対応しなければならない法的義務がある等、使用者側の負担も大きくなります。また、労働組合によっては、必要以上に厳しい口調や文面で使用者を追及するものもありますので、そういったケースでは一層負担感は大きいものといえます。
在籍中に残業代を請求されることのデメリット
在籍中の残業代請求であるからこそ、会社側にはデメリットともいえる点がいくつかありますので、以下で紹介していきます。
社員側は証拠の保全がしやすくなる
退社した従業員からの残業代請求の場合、従業員はタイムカードや出金記録、給与明細等を所持していないことも多く、最初の段階では残業代の計算を正しく行えないことも多いです。
他方で、在籍している社員であれば、これらの証拠を収集・保全することは容易であるため、より根拠のしっかりした残業代請求がされやすいと考えられます。
他の社員についても残業代を支払う必要が出てくる
退社した従業員からの残業代請求の場合、一定額の残業代の支払をしたとしても、その事実が他の在籍中の従業員に伝わることは稀だと思われます。
他方、在籍している従業員からの請求であれば、他の在籍している従業員にも情報が伝わる可能性が高くなりますので、他の従業員にも同様に未払残業代を支払わなければならなくなる可能性があります。
タイムカード等の提出を要求されたときの対応
従業員からタイムカード等の証拠の提出を要求された場合に、不要に提出を拒むと、証拠の改ざんを疑われ、証拠の隠蔽だ等と主張される可能性があります。余計に紛争が激化する可能性もありますので、基本的には任意に提出をした方がよいでしょう。
在籍中の社員に対する不利益取り扱いの禁止
残業代請求をしてきた従業員に対し、残業代請求をしたことを理由に不利益な取り扱いをすることは許されません。例えば、残業代請求をしたことを理由に、解雇、減給、降格等をすることは許されません。そのようなことのないように注意をしましょう。
在籍中の残業代請求を予防するためには
このように、在籍中の従業員から残業代請求をされた場合には、様々なデメリットがあります。
在籍中の残業代請求を予防するためには、日頃から労務管理をきちんと行い、法律、労働契約、就業規則等に従った適正な残業代を支払っておくことが重要です。
在籍したまま残業代を請求された判例
以下では、在籍したまま残業代の請求がなされた判例を紹介します。
事件の概要
紹介する裁判例は、介護施設に在籍している(又は在籍していた)原告らが、被告に対し、未払の時間外労働又は深夜労働に対する割増賃金等があるとして、その支払いを求めた事案です。
裁判所の判断(事件番号・裁判年月日・裁判所・裁判種類)
静岡地方裁判所沼津支部令和5年3月27日判決
裁判所は、原告らの労働時間をICカードによる出退勤時刻が記載された勤務月報により算定すべきであるとの主張を認めませんでした。
本件の被告会社においては、時間外労働について、残業指示書による申告を行うとの運用が確立しており、ICカードによる打刻は、出社・退社の記録に過ぎず、時間外労働の存在を推定するものではないと判断しています。
ポイント・解説
本件で争点となった点はいくつもありますが、ここでは、労働時間の認定に関する争点を解説します。原告は、原告らは介護業務の現業に従事する者であることから、事業所に滞在する時間は、例外的なことがない限り、使用者の指揮監督下にあると主張し、労働時間を、ICカードによって出退勤時刻が記載された勤務月報により算定すべきと主張しました。
他方、裁判所は、以下の事情を踏まえ、原告の主張を認めませんでした。
- 残業指示書により、時間外労働の申告と、その承認が行われる仕組みが採用されていた。
- 施設長は、職員に、残業指示書により時間外労働の申告をするように促し、申告があればこれを承認していた。
- 突発的な業務以外にも「朝礼のため」「全体MTGのため」など、通常業務でも時間外労働の必要があれば、時間外労働の申告がされていた。
- 給与担当者は、時間外労働の申告漏れがないかを電話で確認し、申告漏れがあった場合には、残業指示書を遡って訂正し、割増賃金を支払うという運用になっていた。
- 被告会社は、サービス残業は禁止である旨を伝えている。
- 実際にシフト上の終業時間の前後に滞在していたとしても、実際に労働に従事していたことを具体的に示す証拠はない。
以上の事情等を踏まえ、本件の被告会社においては、時間外労働について、残業指示書による申告を行うとの運用が確立しており、ICカードによる打刻は、出社・退社の記録に過ぎず、時間外労働の存在を推定するものではないと判断しています。
よくある質問
以下では、在籍中の残業代請求について、よくある質問とその回答を紹介していきます。
未払い残業代について団体交渉を申し入れられましたが、団体交渉ではなく在職者と直接話し合うことは認められますか?
団体交渉を正式に申し入れられた場合、労働組合を介さず、在職者と直接交渉することは、原則として許されないと考えるべきです。使用者は、「雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなくて拒む」ことができません(労組法第7条)。したがって、団体交渉の申し入れがなされた場合には、労働組合との団体交渉により解決を図るべきであり、原則として在職者との直接交渉は認められません。
団体交渉申入書に残業代の請求額が記載されていない場合、団体交渉を拒否することは可能ですか?
団体交渉の申し入れ段階では、証拠不足等により、具体的な残業代の請求額を計算できないこともありますし、それは致し方ないものと考えられます。使用者としては、具体的な金額が書いていない以上、団体交渉を拒否したいと考えることもあるかもしれませんが、具体的な金額の名義がないことは団体交渉を拒否する正当な理由にあたらないものと考えられます。したがって、具体的な金額の明示がないからといって団体交渉を拒否することは許されません。
在職者から団体交渉を申し入れられた場合、就業時間中に開催しなければならないのでしょうか?
団体交渉は、本来的には使用者の指揮監督下にあって業務遂行を行う時間とはいえません。そのため、団体交渉を就業時間中に行う必要はありませんし、就業時間外を提案して何ら問題はありません。その上で、円満な団体交渉を目指す趣旨で、就業時間内で団体交渉を行っても差し支えありません。
未払い残業代を請求したことを理由に、配置転換させることは不利益取り扱いにあたりますか?
未払残業代の請求をすることは労働者にとって正当な権利の行使です。したがって、未払残業代を請求したことを理由に、配置転換や解雇をするといった不利益取り扱いは許されません。未払残業代の請求を巡って使用者とトラブルに発展したとしても、あくまでその問題として対応し、不利益取り扱いをしないよう注意しましょう。
労働組合から、未払い残業代を計算するために就業規則の提出を求められました。会社は応じなければなりませんか?
就業規則は、労働基準監督署に届け出さえすればよいというものではなく、労働者に周知しなければならないとされています(労働基準法第106条)。もとより労働者に周知されるべきものですので、労働組合から未払残業代請求の計算のために就業規則の提出を求められた場合には、任意に提出を行うべきものといえます。提出を渋ると、かえって紛争を激化させる可能性が高いため、任意の提出を行いましょう。
算出した未払い残業代の金額が、組合側と会社側で異なる場合はどうしたらいいですか?
協議段階で、未払残業代の金額が、労働組合側と会社側で異なる場合があります。その場合には、計算式のどの点に違いがあるかを整理し、どの点に主張の対立があるのかを整理しましょう。労働組合側の請求が過剰な場合もあります。主張の対立を整理し、法的にはどちらの見解が正しいかを検討した上で、労働組合側に回答をするようにしましょう。最終的に合意に至ればそれで問題ありませんが、合意に至らない場合には、紛争が、労働審判や訴訟といった法的手続きに移行する可能性があります。
残業代を請求する社員のタイムカードを改ざんするとどうなりますか?
残業代を請求する社員のタイムカードを改ざんすることは、当然ながら、許されることではありません。民事的には、改ざんが明らかとなった場合、会社側の主張や証拠について全体として信憑性が疑われ、必要以上に未払残業代の支払を命じられる可能性があります。
刑事的にも問題があります。紙のタイムカードを改ざんしたような場合であれば、私文書変造罪(無印の場合、1年以下の懲役または10万円以下の罰金。有印の場合、3月以上5年以下の懲役)により処罰される可能性があります。
また、電子的に作成されたタイムカードの改ざんであれば、電磁的記録不正作出・供用罪(5年以下の懲役または50万円以下の罰金)により処罰される可能性があります。
さらに、改ざんしたタイムカードに基づいて支払いをした場合、結果的には本来支払うべき賃金額を支払っていないことになるため、労働基準法違反として、30万円以下の罰金に処せられる可能性があります。
昇給させることを条件に、未払い残業代の請求を撤回してもらうことは可能でしょうか?
昇給させることを条件に、未払残業代の請求を撤回するよう求めることは許されないものと考えられます。仮に昇給させることを条件に未払残業代の撤回をさせたとしても、その未払残業代の撤回は真意に基づくものとはいえず、やはり請求を受けて支払わなければならない可能性があります。昇給と未払残業代の請求・支払は区別して考える必要があります。
残業代を請求してきた社員に対し、過去のミスや事故を理由に損害賠償請求することは可能ですか?
残業代請求自体は正当な権利行使であるため、残業代請求行為自体について何かしらの請求を行うことは出来ません。他方、従業員のミスや事故により会社が損害を被った場合、一定の場合には、会社から従業員に対する一定額の損害賠償請求を行うことが可能なケースはあります。そのようなケースでは、残業代請求を受けたことをきっかけに、会社から従業員への損害賠償請求を行うことはあり得ます。
未払い残業代を請求した社員に対し、降格処分を下すことは違法ですか?
未払残業代の請求をすることは労働者にとって正当な権利の行使です。したがって、未払残業代を請求したことを理由に、降格処分を下すことは、不利益取り扱いとして違法と考えられます。未払残業代の請求を巡って使用者とトラブルに発展したとしても、あくまでその問題として対応し、不利益取り扱いをしないよう注意しましょう。
在籍中の従業員から残業代を請求されたら、労務問題に強い弁護士にご相談下さい。
在籍中の従業員からの残業代請求は気をつけるべき点も多いです。対応を誤ると大きな問題に発展してしまうこともありますので、是非労務問題に強い弁護士にご相談いただき、適切な対応を取るようにしましょう。
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保有資格弁護士(神奈川県弁護士会所属・登録番号:57708)
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